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渡邉さんご一家

wata_img.jpg バルーンアートに宿った命
今回は、2006年5月3日にご乗船いただきました
渡邉拓哉様から、とても素敵なエピソードを
頂戴いたしましたのでご紹介させていただきます。






ゴールデンウィークに2泊3日で行った家族旅行の初日、ロイヤルウイングにご乗船になり、
スタッフにバルーンアートの剣を作ってもらった渡邉家の双子の兄弟「ヒロキくん」と
「ナツキくん」。二人は、とてもこの風船の剣を気に入ってくれたそうです。

そして、ここから、風船の剣と二人の旅が、始まりました。二人にふりかかった
ハプニングは、二人を大きく成長させる、とても思い出深いものになったそうです。

「ロ イヤルウイング」でのエンターテイメント・クルージングが、これほどお客様の心に
残るものになるとは、スタッフ一同、大感激いたしました。また、初心に返 らせていただく
とても良い機会となりました。渡邉様、本当にありがとうございました。ヒロキくん、
ナツキくん、また、ロイヤルウイングに乗りに来てね!
とても心温まる内容です。皆様もぜひ、ご一読ください。

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以下↓


東北旅行に消えたバルーンアートの思い出

私たちは、2006年5月3日に、ロイヤルウイングに乗船してディナーバイキングを
頂いた者です。

5月の3連休の初日。天気は快晴。山口県の徳山駅を8時の新幹線で出発した7人の家族は、
楽しみにしていた横浜中華街の中華料理を食べるためにお昼を我慢し、2時半にようやく
中華街に到着しました。
弟の選んだお店に並んで3時にやっと遅い昼食。お父さんは、明日、明後日と続く今度は
東北地方の旅行の前祝に予約した中華料理のレストランシップ ロイヤルウイングの事が
気がかりでなりません。
「こんなに食べて、また5時過ぎから食べられるかな?」
この旅行は、乗り物好きな小学3年生の双子の男の子 ヒロキとナツキのために、
おじいちゃんが計画した旅行でした。
初日、徳山駅から新幹線で横浜に行って中華料理とクルージング、その後東京で1泊。
2日目は、東京駅から秋田新幹線で角館、そこから秋田内陸縦貫鉄道経由で大館を抜けて
弘前の桜見物、その後大鰐温泉で2泊目。
3日目は、青森に移動して三大丸山遺跡の見物の後、東北線の特急で八戸へ、八戸から
新幹線で仙台に移動、仙台空港から飛行機で福岡空港へひとっ飛びし、博多駅から新幹線で
徳山へ帰るという、なんとも強行軍な計画でした。

ロイヤルウイングは、お父さんが、このほとんど乗り物に乗ることが目的みたいな旅行の
前夜祭に、横浜の夜景を見ながら船で中華料理を!と選んだものでした。
遅い中華街での食事が終わると、もう、大桟橋のロイヤルウイングの受付に行かなければ
間に合いません。
氷川丸を目指して山下公園に出ると、左手に見える大桟橋の、手前側に、
ロイヤルウイングが着いていました。
「どの船に乗るの?」
というお母さんにお父さんが指差すと、
「なかなかりっぱな船じゃのう」
とおじいちゃん。
他に大きな客船が停泊していないので、白い船体のロイヤルウイングは、確かに、大きく、
上品に、まるで外航客船のように見えました。
国際客船ターミナルの受付窓口に向うのは、ちょっと、船旅に出るような雰囲気で、
この乗り物旅行にふさわしいイベントでした。
並んで乗船。案の定、子供たちは大はしゃぎ。おなかは、少し減ったかな。
これなら食べられる。そうそう、おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、
お父さんの弟も、我が家は大食一家。お母さんもだいぶ馴染んできてるから大丈夫。
正直言って、味はあまり期待していなかったのですが、かなり美味くてちょっとびっくり。
あーあ、やっぱり、もう少し早く出発して、昼食を早めにすべきだっ たと後悔しても
はじまりません。とにかく、みんな、外に出て休みながらも、食べる、食べる。
やっぱり、お父さんの心配は無用でした。
船内で撮ってもらった全員の写った写真、非常に写りが良くて、お母さんは大満足。
思わず買ってしまったようです。
サプライズは、その後子供たちに頂いたバルーンアート。
お姉さんのみごとな手さばきで、目の前であっという間に、風船の剣が2本出来上がりました。
ヒロキの剣は赤、ナツキの剣は緑です。
子供たちは大喜び。早速二人でチャンバラごっこです。船を下りて、桟橋から地下鉄の駅に
行く間もずっとやっていました。
東京のホテルに着いてからも、部屋でチャンバラ。「これなら危なくなくていいわ」と
お母さん。
「でも、早く寝ないと明日起きれないよ!」
子供たちは良く眠れたのでしょうか?でも、翌朝は、二人とも、お父さんよりもお母さん
よりも早く起きていました。そして、風船の剣の、二人の子供たちとの旅が始まったのです。

東 京駅から盛岡駅へ。ここから分岐して、秋田新幹線で角館へ。1時間待って、秋田内陸縦
貫鉄道で2時間かけて出羽山地を越えてゆきます。峠付近では田圃がま だ雪で真っ白。桜と、
新緑と、積雪と、雪解け水を集めて流れる清流と。急行もりよし号の大きな窓に流れる
景色は、見たことも無い絶景でした。
鷹巣駅で再びJRの特急に乗り換えて弘前へ。風船の剣は、子供たちといっしょに旅をして、
弘前駅までやってきました。
弘前駅からは、バスで弘前城に桜見物に行くのですが、風船の剣は、他の大量の荷物と共に、
コインロッカーで一休みです。
弘前城の、これまた、見たことも無いほど大量の桜の満開を見物し、タクシーで駅まで帰った
一行は、コインロッカーの荷物を取り出し、今度はバスで、大鰐温泉まで移動です。

大鰐温泉では、露天風呂に浸かって大満足。
しかし、ここで、お父さんは、自分が持ち歩いているリュックサックがなくなっている
ことに気がつきました。
「どこで忘れたのだろう」
全く思い当たりませ ん。
中には、ガイドブック、お母さんのカーディガン、それに、ロイヤルウイング船内で撮って
もらったあの写真が入っていました。
コインロッカーに入れずお城まで持ち歩いたリュックサックです。お城の帰りのタクシーに
忘れたのでしょうか、それとも、駅で、コインロッカーから荷物を出 すときに置いて忘れて
しまったのか?大鰐温泉までのバスに乗るときにはもう無かったような気がしていました。
この事に、双子の弟ナツキがとてもショックを受けていました。
「リュックサックはもう帰ってこないの?」
おばあちゃんが、ナツキを元気付けようと言いました。
「リュックサックはまた買えばいいよ。船で撮った写真も、船の人にお願いすればきっと
また現像して送ってくれるよ。」
お父さんは、この励ましには、ちょっと引っかかるものを感じました。
「ナツくん、無くなった物は二度とは帰らない。買い換えたものは代わりのものでしかな い。
お父さんは、これから、できる限りの手を尽くして探してみるから。
結果は、もう見つからないかもしれないけれど、その事実は受け止めなければいけな い。
これは、無くしたお父さんの責任だから、ナツくんが気にすることは無い」
と、お父さんはナツキに言いました。

次の朝、お父さんは、弘前の観光協会に連絡して、弘前市内の全てのタクシー会社10社と、
弘前駅、それに、まさかとは思いましたが、大鰐温泉までのバスの会社にも全て電話をかけ、
リュックサックの忘れ物がなかったか聞き、探してもらうよう頼みました。
見つからないまま時間が来て、一家は、弘前を後にして特急電車で青森に向いました。
そして、電車が青森駅に入ったそのとき、お父さんの携帯電話が鳴ったのです。
大鰐温泉まで乗ったバス会社からでした。
リュックサックは、大鰐温泉までのバスに忘れていたのです。
『リュックサックは、弘前バスターミナルに11時の便で戻ってきます』
『できる限りの手は尽くす』
とナツキに誓ったお父さんです。それに、忙しい中探していただいたバス会社の方の
誠意にも答えなければなりません。
今はもう10時半。お父さんは三大丸山遺跡の見学はキャンセルしてすぐに弘前まで戻ること
にしました。再び青森まで戻って、12時過ぎ青森発の八戸行き特急に間に合わせなければ
なりません。
お父さんは、弘前の桜見物に行く大混雑の電車に挟まり、弘前に帰りました。
駅前案内所のバス会社の女性に教えてもらってバスターミナルに走り、リュックサックを
受け取って、再び弘前駅に走りました。
運よく、定刻に遅れて来た特急列車に乗ることができて、八戸行き特急の出発時刻の1時間
前に青森駅に帰り、お父さんはリュックサックを持って家族に合流することができました。
「ナツくん、やったぜ!」
お父さんは勝利宣言をしました。
青森駅でみんなで昼食をとることができ、さあ、また、ここから、風船の剣と子供たちの
旅行が始まりました。

青森駅のホームで、八戸行きの特急を待っているときのことです。二人は風船の剣を
取り出してそれぞれが持っていました。
「なんだか少ししぼんだみたいだ」
双子の兄ヒロキが言いました。
「風船だからね。だんだん小さくなるよ」
ナツキが答えます。
「さあ、もうすぐ電車が来るから、二人とも、剣を手提げ袋にしまいなさい」
お母さんが言って、ヒロキとナツキが風船の剣を紙の手提げ袋に入れた、その間も なくの
ことでした。一瞬、強い風が吹き抜けました。ナツキの緑の風船の剣が、手提げ袋から抜けて
吹き飛ばされ、ホームの向こうの、海に向って飛んでいきま す。
「取って!」
ナツキが叫びましたが、風船はレールの向こうの方へ、見えなくなってしまいました。
ナツキは呆然としていました。泣きもしませんでしたが、声も出ませんでした。
「ナツくん、無くなったものは、いつもまた見つかるとは限らないよ。でも、二 度と
帰らないものになっても、ナツくんの思い出にはずっと残るよ」
おばあちゃんが、また、ナツキを、こんどは別の言い方で慰めていました。
青森から、八戸で新幹線に乗り換えて仙台駅に着くころには、ナツキは大分落ち着いて
いました。
「まだヒロキの剣があるから、これで一緒に遊ぶ」

仙台駅から、空港行きのリムジンバスに乗って、一家は仙台空港に着きました。
夕飯を食べて、搭乗手続きに向いました。
手荷物検査の時です。検査官が言いました。
「風船は上空で破裂する危険がありますので、飛行機内に持ち込むことはできません」
ヒロキの赤い風船の剣のことです。ヒロキは
「やっぱりか」
とつぶやきました。このことを予感していたようです。
「お客様自身で空気を抜くか、私たちに引き渡していただくか、どちらかにしてください」
検査官は言葉を続けます。
「ぼく、剣が死ぬのを見たくない」
とヒロキが言いました。お父さんははっとしました。『風船に命を感じていたのか。』
ヒロキの赤い風船の剣は、空港の検査官に引渡し、一家は飛行機へ乗り込みました。
結局、ヒロキとナツキの2本の風船の剣は、どちらも山口に持帰ることはできませんでした。
しかし、親子の非常に印象深い思い出として、ずっと記憶に残ることになりました。

3日間の強行軍の旅行は、終わってみると、あっという間でしたが、しかし、短い間に
色々なことのあった旅行でした。子供たちの成長の糧にもなったと思います。
ロイヤルウイングで頂いた風船の剣と写真と、その後のハプニングがなければ、
これほど意義深い旅行にはならなかったと思います。大変感謝申し上げます。
船内で吹き込んでもらった風船の空気には、もしかしたら命も一緒に吹き込まれて
いたのかも!ロイヤルウイングの従業員の皆様、このような有意義な仕事をな されて
いることを誇りに、今後とも横浜の象徴としてご活躍をご記念申し上げます。
また、経営者の方、45年も前に生まれ、瀬戸内海で活躍した『くれない丸』を、今もあの
ように美しい姿で、日本を代表する国際客船ターミナルに置いて運行 されていることに、
深く感銘いたしました。移り変わりの激しい日本では稀有なことと思います。
運営管理には苦労も多いものと推察いたしますが、あの独特の 船の外観は、容易に再生は
できないものと思われます。当時の最新の技術とデザインで設計・製造されたかつての
瀬戸内海の女王を、横浜港の女王として今後と も末永く船体を維持・使用いただくよう
希望を申し述べて終わります。